『鍼灸仮名読十四経治方』の概要
『鍼灸仮名読十四経治方』は、『十四経発揮』を読みやすく初心者の為に書かれたものです。 竜虎の部(『仮名読十四経発揮』)は文化二年(1805年)八田泰興(訳)、乾坤の部(『仮名読十四経治方』)は文化六年(1809年)津山彪(編)により、いずれも東都甘泉堂より出版されています。後者は疾患ごとの治療法が書かれています。
地方書肆・翻刻により、表記の異なるものが、幾つか出版されています。竜虎の部の題言は文化二年、長澤丹陽により書かれており、「八田泰興ハ経絡に心を用るを久し…云々」とあります。
内容的に優れたものかどうかはともかく、いろいろと発見がありましたのでテキスト化して紹介します。『鍼灸仮名読十四経治方』は、現在比較的安く入手できる和本の一つです。和竿でハゼを釣るような感覚とでもいいましょうか、和本を繙くのは興なものですよ。
『十四経発揮』は、1341年(元の時代)滑寿により著されました。 その内容は、各経脈の循行と経穴が詳しく図入りで記述されています。 『日本漢方典籍辞典』によると、この書は1596年より20回近く翻刻されており、その解説書も幾つも刊行されています。 現在、鍼灸学校の経穴学の底本であり、我が国では広く読まれた書の一つと言えるでしょう。
『十四経発揮俗解』著者不祥(1680年)、『十四経発揮評誤』中生寸木子(1682年)、『十四経秘訣』雨森桂州(1686年)、『十四経絡発揮和解』 岡本一抱(1693年)、『十四経眸子』逵瑞郁(1694年)、『十四経指南』林玄厚(1697年)など。
その中でも 岡本一抱の『十四経絡発揮和解』は広く支持されていたようです。しかし、諺解書をシリーズで発行していた岡本一抱に、兄である近松門左衛門がこれをを諌めたという逸話があります。
曰く「子孜々として諺解に従事す、吾て後世末学の浅きに因り近きに就き復本書を研究せず、鹵莽術を施して氏名を誤るに至らんことを恐る」と。
江戸の中期頃になると、難しい漢文を読みやすく、かな交じりの書が多く出版されるようになり、それに伴い医師になる者も増えてきます。「唐本は駕籠に乗る時ばかり入れ」(柳樽二〇・1785年)と、皮肉られるように、漢文を読まない(読めない)鍼医もまた増えてきます。なんだか、現在の鍼灸界の状況にも似たような感じですね…。
凡例に「朝鮮の許任が説に拠もの多し。〜」とあります。 日本の著書の中に、許任の名が出てくるのは珍しいのではないでしょうか。許任については、殆ど知識がないので、フリー百科事典『ウィキペディア』から以下抜粋します。
許任(ホ・イム、きょ・じん)は、朝鮮最高の鍼医との評がある。『東医宝鑑』の著者、許浚と同時代の人であり、医官録(1612年)にともに記録されている。宣祖末期から、光海君、仁祖に渡って王朝に仕えている。 宣祖の時、鍼灸で王を治療して功を立て、東班の位階を受けた。 1616年、永平県令に任命され、楊州牧使、富平府使を経て、1622年、南陽府使となった。著書に『鍼灸経験方』(仁祖22年、1644年)、『東医聞見方』などがある。
業界ではまったく話題にならない『鍼灸仮名読十四経治方』ですが、鍼灸書としてはかなりの数が出版されたのではないかと思われます。現在入手できる和本の鍼灸書は種類が少なく、かつ値段が高い物が多い中にあって、『鍼灸仮名読十四経治方』はよく目にするもの一つでしょう。市場によくでるということは、評価されていないこともありますが、数が多いという事でもあります。手元にある書籍の裏表紙は各々異なり、かなり字がにじんだものもあり、何度か後刷りが行われたと推測されます。
翻刻は、明治25年・明治31年、また、発行年は不明ですが、東京帝国大学・京都帝国大学などの御用書肆として嵩山堂からも発行されたものを確認しています。この『鍼灸仮名読十四経治方』が出版された時期は、甘泉堂の和泉屋市兵衛が地方への販路を拡大していた時期とも重なり、裏表紙は諸国発行書肆13肆を掲げているものがあります。東京界隈だけでなく会津・富山・姫路・彦根・広島・熊本・鹿児島など地方でも販売されたようです。
当時も全ての人が漢籍を読むことができたのではないので、以外と多くの鍼灸師が読んだのでは…と想像します。先日読んだ本の中にこれを裏付けてくれるようなヒントを発見!しましたので引用し紹介します。
「…平仮名によって意味と読み方とを懇切に示し素読独習の手引きとしたこの書籍は、時代の支持を得てごく普通の時代にあり続けた書籍なのである。普通のことはあっというまに忘れ去られてしまう。際だった特色を有する思想が盛られている書籍でもなく、多くの門弟を擁して学派を形成したような人間の著作でもない。普通の人々の日常的な需要に応えて普通に襲蔵されていたこの書籍については、おそらく普通であったがゆえ、これまで諸学の認知が僅少でまとまった研究は存在していない。普通のことは論じにくく、歴史から普通のことが漏れてしまっている。」『江戸の読書熱』鈴木俊幸著
当時、どのような方法で鍼灸術が行われていたのか、多くの流派の伝承が途絶えてしまった今、残された文献や鍼具から想像するより他に手だてがありません。それを探る一つの切り口としてこの『鍼灸仮名読十四経治方』を読むのも面白いのではないでしょうか…。
江戸東京博物館の甘泉堂
江戸東京博物館に絵草紙屋を再現したコーナーがあり、当時の印刷技術・錦絵の作業工程などが展示されています。以下に絵草紙屋の解説を引用します。
「東海道名所図会」に描かれた和泉屋市兵衛の店(甘泉堂)をもとに、江戸の絵草紙屋の店先を復元した。和泉屋市兵衛が店を構えていた芝神明前三島町(現・港区芝大門一丁目付近)は、東海道の脇にあたり、地本問屋が集中する区域のひとつであったが、出店時期は不明である。天明期には黄表紙の出版を手がけ、18世紀末の寛政期には、歌川豊国などの錦絵を出版した。和泉屋市兵衛は、地本問屋であると同時に書物問屋でもあり、絵草紙や錦絵のほかに、地図や往来物なども扱っていた。
そうなんです〜!
この甘泉堂が仮名読十四経治方の版元なのです。