鍼灸の起源
鍼(はり)はどこから
結論から言えば、まだはっきりと断定はできません。
医学の歴史は古くに遡り、それはあらゆる民族にとって衣食住と並び生命の存続に必要不可欠なものといえます。太古、ネアンデルタール人は儀式を行っていたと推測されていますが、原初的医学ではシャーマンや呪術の要素も多分にあったことでしょう。
古代バビロニアでは、預言者・まじない師・占い師が医師を兼ねていたようです。中国に於いても、毉(巫)→醫(酉)→医と漢字の変遷からもその様子を想像することができます。
道具の利用、動植物や鉱物の服用・湿布など試行錯誤を経て、治療に役立つ知識を得ていったのでしょう。動物が食べていた木の実や植物を食して病の薬を発見したり、時にはそれで命を落としたかもしれません。
中国の伝説上の人物で農耕や薬学の神として有名な神農は、草木の効用を確かめるために1日に70回も中毒を起したといわれています。また、痛みや悪寒に対して撫でたり押したり、また火で温めた石(温石)を利用したり、腫れ物を石や骨で排膿をしたかもしれません。
伝統医学にはインドのアユルヴェーダ・イスラムのユナニと中国医学があり、世界三代伝統医学といわれています。それに古代ギリシャ医学を加え比較してみても、鍼灸は外には類を見ない特殊な医術といえます。
いったいその起源はどこにあるのでしょう?
以前は三大文化圏説が提唱されていました。それは、鍼灸医学(黄帝内経)は黄河文化圏、薬物療法(傷寒論)は江南文化圏、そして神仙術(神農本草経)は揚子江文化圏で独自に発生したとするものです。しかし、さまざまな出土品からもこの説は疑わしいと言わざるを得ません。
次に、いくつかの文献を頼りに見ていきましょう。我々は出土品や残存する諸資料から読み解く外はないので、諸説には想像の域をでないものもあります。今後新しい発見があればその内容は一新してしまうかもしれません。
鍼灸に関する考古学的発見
馬王堆漢墓1968年/中国河北省、満城県中山王劉勝墓から金針三種(毫針・てい鍼・鋒鍼)四本・銀針五本・銅盆・銅薬匙などが出土しました。これらの鍼は現在一般的に使用しているものと比べてはるかに太いものです。
1971~74年/中国湖南省、長沙の東郊の馬王堆漢墓から紀元前の大量の医学書と女性のミイラが発見されました。病理解剖の結果、この女性には動脈硬化や心筋梗塞などの疾患があり、漢方薬を服用していた痕跡も見つかっています。
医薬帛書は『足臂十一脈灸経』『陰陽十一脈灸経(甲本)』『陰陽十一脈灸経(乙本)』『脈法』『陰陽脈死候』『五十二病方』『導引図』など十四種類にも及ぶたいへん貴重な資料です。『足臂十一脈灸経』や『陰陽十一脈灸経』には鍼は記述はなく、お灸による治療法が書かれています。
古典に見る鍼の起源説
『素問 異法方宜論篇』には次のような記載があります。
故東方之域、天地之所始生也。魚塩之地、海濱傍水。其民食魚而嗜鹹。皆安其處、美其食。魚者使人熱中、塩者勝血。故其民皆黒色疏理。其病皆爲癰瘍。其治宜砭石。故砭石者、亦從東方來。西方者、金玉之域、沙石之處、天地之所收引也。其民陵居而多風、水土剛強。其民不衣而褐荐、其民華食而脂肥。故邪不能傷其形體。其病生於内。其治宜毒藥。故毒藥者、亦從西方來。北方者、天地所閉藏之域也。其地高、陵居、風寒冰冽。其民樂野處而乳食。藏寒生滿病。其治宜灸焫。故灸焫者、亦從北方來。南方者、天地所長養、陽之所盛處也。其地下、水土弱、霧露之所聚也。其民嗜酸而食胕。故其民皆緻理而赤色。其病攣痺。其治宜微鍼。故九鍼者、亦從南方來。 中央者、其地平以濕、天地所以生萬物也衆。其民食雜而不勞。故其病多痿厥寒熱。其治宜導引按蹻。故導引按蹻者、亦從中央出也。
『説文解字』には「砭以石刺病也」(砭は石を以って病を刺すなり)とあり、『山海経、東山経』には「高氏之山、其上多玉、其下多箴石」(高氏の山、頂上には玉が多く、麓には箴石が多い)との記述があります。
この砭石(へんせき)が鍼の起源であるとする説もありますが、『史記』扁鵲倉公列伝には、扁鵲が鍼や石針で治療をした様子が描かれています。ここには両方の記載がありますので、別の治療道具として考えることもできるでしょう。
諸氏に見る鍼の起源説
J・ニーダム氏の説/『中国のランセット』
「…できものを刺絡針によって切開することについての郭璞の所説は、1つの見方によれば、あらゆる治療用の針の起源は、それがどうあれ、膿瘍から膿をだすための切開用に使用された古代の原始的な器具にもとめられるということが想起される。
第2に、『山海経』では、竹かんむりを文字の頭に有する針の古い字形の漢字である「箴」が使用されているということに注意を要し、その材質で削ったばかりの裂片が他の多くの用途とともに、医療用にも非常に効果的に利用できたのだということを想い起こさせてくれる。…」
藤木俊郎氏の説/『鍼灸医学源流考~素問医学の世界Ⅱ~』
「…丸山昌朗氏の提出された鍼の起源の説明を考えよう。…中国に於いて、世界の他の部分よりも早く細い絹糸とそれによる織物が発達した。更にそれによる衣服の縫製が行われた。他の古代社会で一般的な貫頭衣や巻きつけるだけに近い寛衣と比較して、よりこまかい作業が行われ、それに伴って細い鍼を発展させた。…」
「もしも鍼が入墨と関連しているとすれば、それは東方、東南東の部族から来たはずである。しかし、殷時代とちがって素問のつくられた漢時代にはそのような風俗を持つ部族はもう南方にしかいない。そうしてみると「異法方宜論」で「故に九鍼は亦南方より来る」と述べているのは全く正しいことになる。」
加納喜光氏の説/『中国医学の誕生』
「テクノロジーが医術に与えた影響の最も大きなものは医療機械であろう。従来の砭石とは違った機能をもつ鍼の登場は一種の医療革命とも呼び得るものである。考古学的には先秦の金属鍼の存在をいまだ証明するに至っていないが、河北省満城の漢代の墓から発掘された金鍼・銀鍼の精巧さを見ると、それ以前の鉄製の段階が予想される。その前提条件はいうまでもなく優秀な冶金術である。」
「…農具が石製・木製から鉄製に、武器や工具が青銅製から鉄製にとって替わったのと違い、鍼は石製から鉄製にとって替ったのではないということである。砭石はかなり後まで鍼と併用されたのであり、二つは機能を異にする別の医療機械とみなすべきである。」
アイスマン(エッツィ)の発見
アイスマン1991年9月21日、アルプスのエッツ渓谷の氷河で5000年前のものと思われる遺体が発見されました。その時の新聞記事にはミイラの写真が大きく紹介され、「体の幾つかの奇妙な刺入れ墨の痕は腰痛治療の為ではないか」。とか、「鍼灸の起源はヨーロッパからではないか。」などとちょっとしたセンセーショナルな出来事として記憶しています。
「ハンブルク大学考古学研究所のロレ教授は、種々の理由から民族治療の面に注目している。…インスブルック大学病院が遺体の腰椎周辺をレントゲン撮影してみた診断結果は、「中程度の変形が見られ、骨軟骨症ないしは軽い脊椎症と思われる。また膝と、両足かかと付近の距骨関節には中程度の消耗が見られる」というものだった。これにより入れ墨の個所と、骨部の消耗との関連が出てきたことになる。だから入れ墨の中には、関節の痛みを和らげる目的もあったことになる。…」 『5000年前の男』コンラート・シュピンドラー著