「按腹獨稽古」の概略
最近の手技療法は百花繚乱というか、玉石混淆の様相を呈しており面白いことになっています。毎年のように新しい理論やテクニックが紹介されますが、よくよく考えてみるとその多くはすでに学んだ施術法や古典文献の中に共通する要素を見ることができます。
手技療法の歴史は紀元前まで遡ることができます。手を以て行う方法については現在までさまざまなことが試され研究されています。しかし、その術については人から人へ受け継がれるため失伝しているもあり、また、言語化しにくいこともあってか、古典的資料・文献は多くはありません。
江戸期の資料にしても鍼灸や湯液に比べて頗る少ない状況です。
- 『按腹伝』内海辰之進(1791)
- 『按腹獨稽古』浪華一愚子(1793)
- 『按摩手引』藤林良伯(1800)
- 『按腹図解』太田晋斎(1827)
『按腹獨稽古』は70ページばかりの小冊子です。鉄斎から伝授された按蹻術を内海辰之進が記録してまとめたと記されています。鉄斎は延享時代の人で、名を喜多といいいます。鉄斎とは男のようですが、婦人(老婆)で、父は陳子元という唐人、母は遊女とあります。
鉄板を作り布を其上に覆ひ静に是を摩(なづ)れは一月にして指の形付く、しかれども布は一向摸ずる事なきとぞ。見た人は皆其術の神妙なるをかんず。此鉄板に指の形付く妙あるを以て鉄斎と号するなり。さて此老婆豪気猛強なる事男子だも及ばず。或は此術を学ばんと乞ふ人あれば、我術を学はんとならば、其腕力を堅めむとて木刀をあたへて其庭前の松樹を数々三年の間敲(たた)かしめ腕力かたまり後其術を伝授す。変を以て且つ三年の修業遂る人稀なり。しかるに日向の国内海辰之進という人厚志鉄心にして此術を伝へ得て細に筆記したるなり。
「按腹獨稽古」より引用
「此鉄板に指の形付く妙あるを以て鉄斎と号するなり。」
鉄板に跡がつくかどうかは分かりませんが、布をずらさずにその下の鉄板に圧を及ぼすには指の力が必要になります。実際の臨床では筋膜リリースのようなテクニックに通じるのではないかと推察します。
指の力は鍼を刺す時にも大変重要です。最近のディスポ鍼などは刺入するのに力を必要としませんが、太い鍼や中国鍼を使う鍼灸師の母指球は発達しています。母指球を触ればその技量がわかるかもしれません。
「三年の間敲(たた)かしめ腕力かたまり後其術を伝授す。」
30年近く前、とある温泉街でマッサージのアルバイトをした時に老按摩(マッサージ)師が次のような話をしてくれました。
若い頃、按摩の派遣所のような所に入門すると、まず大広間にある火鉢をひたすら押す日々が続いたという。そして、今度は仕事から帰ってきた先輩たちをマッサージするのだという。なかなかOKがでないので、夜遅くまで何時間も指が痛くなるまで押していたと語っていました。一人前として現場に出るまでに2年の歳月を費やしたとのことです。
今では考えられませんが、伝統的な他分野でもこのような光景はさほど珍しいものではなかったのではないでしょうか。日本的修行法には賛否両論ありますが、技は見て盗めと言われていた時代の話です。
「按腹獨稽古」十一術
『臨床実践鍼灸流儀書集成第8冊』(オリエント出版社)に「雨水分流」として編纂されていますが、この内容は『按腹獨稽古』から抜粋し、写本したものでなないかと思われます。記載されている内容はほぼ同じで、手技の操作方法が全部で11術紹介されています。この辺の経緯についてはよくわかりませんが、じつにマニアックな話です、、。
江戸期の文献は変体仮名(江戸かな)やくずし字を解読しないと意味がわからないため、読むのに非常に時間がかかります。以前、古文書講座に参加した時、講義をしていただいたある高名な先生も依頼を受けた手紙に書かれた一字を解読するのに一週間悩んだという話をされていました。筆者のような素人がすらすらと読めなくても当然と言えば当然なのですが、古文書の解読はクイズを解くような楽しみがあります。解読した内容の保証はありませんが、参考までに以下に紹介します。
雨水分流(うすいぶんりう) 第一術
此術は両手とも指頭を少しひらき病人の胸よりだんだん左右へ摩(なで)ひらき、順降してきうび(鳩尾)に至る。扨両脇よりかゝへる気味に静(しづか)にしめる如斯(かくのごとく)反覆して摩る事凡六七へんするなり。
此術の効は始(はじめ)胸よりだんだん摩(なで)ひらくを砂気の結ぼれをさんじ又痰飲を解(とく)。其終に左右の脇よりしめるを収気するといひて始(はじめ)ひらきたる気を取収める術なり。
手法雨水の山稜より両辺へ分れ流るゝ気味あるをもつて雨水分流の術といへり。
海水湧沸(かいすいゆふつ) 第二術
此術は先病人の右の章門あたりより、脇下を右の手にて□如斯環回して摩登り乳の上あたりに至つて是も又収気の法を施す。
其法左の手にて病人の右の乳の辺をじつと受て右の手にて病人の右の脇下より背に掛て摩(なで)あけかかへる気味に静にしめるなり。又左の脇は右の手にて病人の左の胸下あたりをじつと受て左の手の内を向ふへ当て章門あたりより脇腹をだんだん転回して□如斯摩登る収気の法有。
右の手にて病人の右の乳辺をじつと受左の手掌にて向ふへ押てしめる此術も左右同く反覆する事六七へん其効は脇孿を和解し癇気を順散す手法満水の湧沸する気味あるをもつて術の名とするなり。
□は秘伝の図なり
山畔除降(さんはんじよがう) 第三術
此術は先つ左の手にて病人の右章門所をじつと引よせ抱(かかへ)持て右手の指先にて病人のきうびを少し除き胸肋にしたがひてかのかかへ持たる左の手まで静に押降(くだる)事三十へん。
左の方は左の脇を左手にて受、右の無名指とたかたか指と二指にて胸肋にそひ静にかき降る事又三十へん。もつとも胸肋にすり付摩れば痛てあしきなり。脇肋を四分ばかり除きなでくだるをよしとす。
此術効胸痞留飲を散解し鬱気をひらく険阻なる山路をしづかに降る気味ある手法なるを以て山畔除降の術といふ。
折指鼓動(せつしこどう) 第四術
此術は病人の胸下任脉道を除き右の方は右の手指にて推(おし)、ひだりのかたは左の手指にて推、かはるがはる左右の指節を激折する事およそ二三百へん。此折指の法初は出来がたし。よくよく熟練して自然に得べきなり。其術は孫絡の凝結を解散す。但し一身いづれの所にても経絡凝結したるに施してよき手術なり。
河水試歩(かすいしほ) 第五術
此術は両手の備へ前術にひとしく胸下の左右を両手指頭にて同く静に推沈する事しばらく扨左の指頭に力を加へ右の指頭を軽(かる)める事しばらく。又右の指頭に力をくはへ左の指頭をかるめる事しばらく如此互に浮沈して推事二十へん。此術効留飮傷食諸積胸痛皆施してよろし何れをあやしみ窺ふて一歩づつあゆみ渡るの意味あるをもつて河水試歩の術と名づけたるなり
指頭真鍼(したとうしんしん) 第六術
此術も両手の備へは前術に同く病人の胸下を両指頭にて静に推沈し、扨又右の指頭を以て左手の甲を押へ両手の力を合わせ呼吸にしたがひ運環する気味を以推沈する事。良(やや)久しく又右胸も右の指頭にて推沈し左手を添、力を合せ運環する気味を以て持息(あつかう)する事。左へ施たる法に同くかはるがはる如斯すること五十へん。此術効一切の効気逆気を降沈し積塊をくだき留飲胸痛を和諧する事。鍼術にまさるゆへに真鍼の名あるなり。
海石探挙(かいせきたんきよ) 第七術
此術は左右の手を揃へ向へ伸て病人の右の章門所を背の方より両手にて更に更に摩揚(なであげ)躰に力を入て引如斯する事凡二十へん。次に病人の左の臍傍を右の手指を以てじつと受、左手を向へ仰(おし)のけ静に摩揚る事又二十へん。次に医右の膝を立て病人にのびかつて左右の手にて抱へ指頭を上に向て七九のあたりより章門の辺まで背骨に添て折指鼓動の術を施して順に降る。扨其章門所を背骨あたりより両手同く摩(なで)あぐる事二十へん。尤終りには随分力を入静に摩揚腹に至つて左手は臍下に当り左の横腹より手掌にて向ふへじつと推。右手は臍上に当り右の横腹よりじつとしめ引に引て左右入違ひにしめ手を留居する事良(やや)久しくして、後は安和の術を施す事六七へんして収める。此安和の手法は諸々手術を施して後の収めに用ゆるなり。手法は右手の平にて□如此環摩しては□如此摩流し又環摩していなでながし数十へん。随分静にする之。扨此海石探挙の術効は腰腹を安和し留飲をさばき、飲食をすすめるなり。其手法海底の大石を探り揚るの気味あるを以て術の名とするなり。
舟楫動揺(しうしうどうよう) 第八術
此術は左右とも大指と四指とを十分にひらき斉しくそろへ病人の腹え横に其手をうけ八指をもつて腹肉を向ふよりかきあぐる気味に手前へ引よせ。又両大指をそろへ向ふへ推揚る気味に腹肉を推戻す如此する事凡四五十へん。尤随分徐々によろし手法恰も舟楫を動揺するに似たり変(ここ)を以て此術の名とす。扨是も終りには前に出たる安和の手法をほどこして収るなり。此効は胸腹を安和して大小便を順通す。又よく留飲をしりぞけ飲食を進むるなり。
春水順降(しゅんすいじゅんがう) 第九術
此術は右手にて病人の右胸缺盆あたりより胸下までなでくだし又左手にて左胸を缺盆あたりより胸下まで摩下す。左右かわるがはる二十へん。随分静に滞りなくなづる若(もし)手あらく摩れば胸悸してあしきなり。譬ば春山雪解てながれ下る気味あるを以て手法の名とす。術効気血を和降し精神をさわやかにするなり。
澗水濇流(かんすいしょくりう) 第十術
此術も前法のごとく缺盆の辺より左胸右胸の通を小腹あたりまでまで両手同く指頭をことことく指壱つ程宛(ずつ)ひらき、随分徐々に濇らせ摩降かくのごとく繰返繰返数十へん。譬は澗水この葉などに埋(うづ)み閉られて快流を得ず。徐ゝに濇りながるる気味あるを以て此手法の名とす。術効は真気を沈降する事、神妙なり。
和気安血(わきあんけつ) 第十一術
此術は大抵第六術の後りに論じたる安和の手法の意味にて随分手を軽くしづかに胸腹より始り両脇臍傍小腹まで摩回し摩降し摩開し摩収する事数十へん。其終わりに胸下をなでひらきなでおさめん。この所に手を当る事、良(やや)ひさしくして終る。扨病人を直に起すべからず。しばらく其儘す。気をしづめて起(たた)しむべきなり。
※2014/6/17「鍼灸鶏肋ブログ」の記事を加筆修正しています。