背中の凝りと生活習慣
平成25年の国民生活基礎調査(厚生労働省)の性・年齢階級別にみた有訴者率の統計によると、男性の第1位は腰痛、第2位は肩こり、第3位は鼻がつまる・鼻汁がでるとなっています。
一方、女性は第1位が肩こり、第2位は腰痛、第3位が手足の関節が痛むという順位です。この統計の結果から、男女いずれも肩こり、腰痛が1,2位を占めていることがわかります。
慢性的に肩こりや腰痛のある方は、背部の緊張も強いことが少なくありませんが、あまり自覚症状として認知していない方も多く見られます。肩や腰だけにマッサージや鍼灸をしても効果はその場だけで、すぐに症状が戻ってしまうような方は、局所だけでなくからだ全体を調える視点が必要です。
ぎっくり腰は腰ですが、背中が急に痛くなるぎっくり背中のような症状も時々見受けられます。ご高齢の方は圧迫骨折や内臓由来の痛み、帯状疱疹などのこともありますので注意が必要です。また、妊娠中の方や子育て中のママさん、介護職の方も背中の痛みを訴えられる方が多い傾向にあります。
肩こりや腰痛、背部痛などは生活習慣の影響が少なくありません。長時間にわたるデスクワークや車の運転、姿勢や動作、運動不足、睡眠不足、胃腸障害、ストレスによる心身の緊張などなど。
以前、座らないで仕事をする「ウォーキングデスク」がちょっとした話題となりました。トム・ラスの「座らない!成果を出し続ける人の健康習慣」では健康とウェルビーイング(身体的・精神的・社会的な状態)を促進することの重要性について語られています。また、成果を出し続ける人の健康習慣として「食べる・動く・眠る」の三要素を同時に行うことを推奨しています。
企業経営者はしばしば自らの健康を後回しにする」という事実には考えさせられました。経営者は良かれと思って長時間労働をしています。睡眠時間を削り、家庭との時間を犠牲にしています。(中略)要するに、毎日最高の状態で働きたいなら、日々の優先順位リストの最上位に「自分の健康」と書き込み必要があります。もちろん簡単ではありません。繁忙期であればなおさらです。しかし自分のためだけでなく他人のためにも、健康を優先しなければならないと肝に銘じておきましょう。(p7)
東洋医学の基本的な考え方に「未病を治す」というものがあります。「優れた人は病気になってから治療をするのではなく、病気になる前に予防するのであり、国を治めることでも騒乱が起きてからでなく未然に防ぐことが大切である」としています。
また、ある人は次のように現代医学と東洋医学を説明しています。「現代医学は穴に落っこちた人を救う医学、一方、東洋医学は穴に落ちないようにする医学である。」と
針灸の考え方
鍼灸では気血の滞りが病の原因とされるので、その滞りを解消し、疎通させることを一つの目的としています。端的にいえば、筋肉や筋膜の凝りや滞り(瘀血)、重積を解消することで、血行を促進するということもできます。また、からだに対する鍼や灸の刺激は中枢神経に信号を送り、痛みを軽減させたり、自律神経やホルモン分泌を調整したりもします。長期にわたるストレスは交感神経を興奮させ、常にからだも緊張した状態となってしまいます。
背中を巡る経絡、太陽膀胱経と督脈
背部を流注する経絡には督脉、足の太陽膀胱経があります。督脉は脊柱上を流れ、足の太陽膀胱経はその脇を巡っています。膀胱経には蔵府の名前のついた腧穴が多く存在しています。古典における腧穴(つぼ)の記載では、まず、その腧穴の位置が説明され、その特性、主治が記述されています。また、鍼の深さ、灸の壮数についても書かれています。
この針の深さについてはあまり話題になりませんが、定量的な数値として記載されています。「鍼灸大成」を参考に膀胱経一行線の腧穴の深さを書きだしてみましょう。
• 大杼 ≪銅人≫針5分、≪下経≫≪素注≫針3分
• 風門 ≪銅人≫針5分、≪素注≫針3分
• 肺兪 ≪甲乙≫針3分
• 厥陰兪 ≪銅人≫針3分
• 心兪 ≪甲乙≫針3分
• 督兪
• 膈兪 ≪銅人≫針3分
• 肝兪 ≪銅人≫針3分
• 胆兪 ≪銅人≫針5分、≪明堂≫針3分
• 脾兪 ≪銅人≫針3分
• 胃兪 ≪銅人≫針3分
• 三焦兪 ≪銅人≫針5分、≪明堂≫針3分
• 腎兪 ≪銅人≫針3分
• 気海兪 針3分
• 大腸兪 ≪銅人≫針3分
• 小腸兪 ≪銅人≫針3分
• 膀胱兪 ≪銅人≫針3分
• 中膂兪 ≪銅人≫針3分
• 白環兪 ≪素注≫針5分
銅人経を参考にしてプロットしたのが上記の図になります。黒い直線が体表の位置で、赤い折れ線が体表から針の深さにあたります。上の経絡人形の位置に対応しています。
腧穴を取穴する場合の寸法は骨度法といって相対的な長さになりますが、仮に当時の1寸を2.25センチメートルと設定して考えると、3分は6.75ミリ、5分は11.25ミリの深さになります。
背部痛に対する鍼灸の考え方
排刺法は上から下まで並べて刺して行く方法です。
体表から3分の深さを経絡が流れているとか気のルートなどと説明するものもありますが、エコーを見ながらこれらについて見てみましょう。
背部の浅層は数種類の筋で覆われています。太陽膀胱経の流注上を見ると、大ざっぱですが上部は僧帽筋、下部は広背筋(胸陽筋膜)となります。
僧帽筋は頚背部にある三角形をした筋で、下行部の起始は第12胸椎の棘突起に付着します。膀胱経は脊柱の外方1.5寸に位置していますので、おおよそ膈兪(第7胸椎棘突起下、両側1.5寸)ぐらいまでが、僧帽筋と重なると考えられます。
広背筋は、胸腰部の後面を広く覆う三角形の筋で、胸腰筋膜を介して第7胸椎~第5腰椎の棘突起、仙骨の正中仙骨稜および腸骨の腸骨稜、第10~12肋骨、肩甲骨の下角までが起始となります。肝兪から下の腧穴は広背筋、胸腰筋膜が浅層筋となります。
そこで、脾兪、胃兪辺りの部分をエコーを使用して短軸で観察してみると次のような画像となります。
黄色のラインは、上線が体表から5mm、下線が10mmの位置です。ここで前回の腧穴の深さ「3分は6.75ミリ、5分は11.25ミリ」を当てはめてみると、だいたい上線と下線の間に収まるように思われます。
ファシア(筋膜)にはレセプターが筋よりも多く存在しているといわれていますので、施術者が3分や5分で知覚できるものは、一つには筋膜の抵抗感、もう一つは得気(響き)と考えられます。つまり、深さの指標で意味しているものは、重積したファシア(筋膜)に対するアプローチといえるのではないでしょうか、、。
江戸期の鍼師、坂井豊作は『鍼術秘要』の中でさまざまな症状に対して横刺法を紹介しています。
上手を見ると背部の膀胱経に沿って、毫鍼を並べるように刺針しているのが分かります。エコーの画像と比較してみると、ちょうど鍼先は5ミリ~10ミリの付近にあるのではないかと想像されます。
慢性的で頑固な背部の症状にはこの刺鍼法の応用として長鍼を使用することもあります。
黄色で囲んである所に鍼が見えます。鍼の仕事が全てファシア(筋膜)のリリースということではありませんが、刺鍼の深さの意味を考える上で、ファシア(筋膜)の機能を知ることは新しい発見となるのではないでしょうか。
まとめ
最近は軽く鍼を接触したり、浅い刺鍼が注目されているようですが、エコー画像を見て分かる通り、切皮(約5ミリ)ではファシア(筋膜)には届いていないので、効果があるとすると自律神経系や別の治効理論を提示しなくてはならないでしょう。
体表から骨まではレイヤー(重層)構造になっていますので、どこに問題があるのか、その深さを考慮して鍼を打たなくてはならないのは当然なことです。斯界で時々話題となる浅い鍼は痛くない(下手な人は浅くても痛い!)とか、深い鍼は刺激が強いという不毛な議論ではなく、何のために(どこに)鍼を打つのかということが重要なことになります。
【参考文献】
『骨格筋の形と触診法』河上敬介,礒貝香、大峰閣
※2016/12/19「鍼灸鶏肋ブログ」の記事を加筆修正しています。